c. 現地調査(聞き取り調査) 稚咲内の砂丘を研究対象とした経験を持つ地形・地質の専門家にヒアリングを行った結果を以下に示す。 ○砂丘の形成と今後の砂丘の推移 ・砂丘の配列調査を、砂丘が比較的保存されているパンケ沼西部付近(浜里パーキングシェルター付近)で実施しており、稚咲内の砂丘は主に内陸から「第Ⅰ砂丘帯」、「第ⅡA砂丘帯」、「第ⅡB砂丘帯」、「第Ⅲ砂丘帯」の4つに区分されている。年代調査としては、光ルミネッセンス年代測定により、それぞれ第Ⅰ砂丘帯で約6000~5000年前、第ⅡA・ⅡB砂丘帯で約4500~2000年前、第Ⅲ砂丘帯で約2000年前以降が形成時期として推定されている。 ・東西の砂丘の位置と形成時期から、隣り合う砂丘の列の年代差は約230年と推定されており、現在の最も新しい砂丘列の形成時期が約280年前と考えられている。新たな砂丘が形成されても構わないほどの時間が経過している一方で、現に砂丘が形成されていないことから、現在では海退が進んでいないと考えられる。 ・地中レーダー調査により把握された礫などの地層は、天塩川の旧河道であることが示唆され、道道972号線付近よりも南側では礫などの地層の割合が特に高く、天塩川の流路が南北に移動を繰り返した結果と考えられる。 ・現在の状況からすれば、砂丘の列は増える状況ではない。既にできている砂丘は、今後緩やかに形が変わる程度の変化があると考えられる。内陸側の砂丘では、形が崩れるなど既に緩やかな変化がみられている。風車周辺は風が攪乱すると思われるので、風車の背後に砂丘があれば、影響がないとは言えない。今後、この地域でどのように堆積が変わるか詳細は分からないが、一般的には窪地は埋められる方向で変化していくと考えられる。なお、埋戻しがあっても新しく砂丘ができるかについては不明である。 ○明治時代以降の人為的な改変 ・昔の地形図の情報を整理すると、1959年(昭和34年)あたりには稚咲内で人家がみられ始めているが、それまでの1924年(大正13年)の地形と大きな変化は無い。しかし、1978年(昭和53年)の地形図では、あちこちで大きく区画が変わっており、道路、用水路など開拓された跡がうかがえる。また、その後の1996年(平成8年)の地形図では人家がみられなくなると共に採砂後の四角い穴(ピット)が確認され、大きく変化している状況にある。これらの情報から推察すると、平成初期の頃に人家が無くなるタイミングでピットが形成されたのであろうと考えられる。 ※各年代は地形図の出版年であり、測量のタイミングとは異なる。 ・従来からある天然の砂丘は、砂丘林が発達している。一方で、改変されたことのある区域は樹林がみられず、草地などが存在する状況となる。現在では、浜里パーキングシェルター付近より南部は、砂丘林の発達がみられず盛土の場所も多いことから、従来からの天然の砂丘はほとんどないと考えられる。 10.1.2-13 (495)
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